日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

Jesus Loves You
みんな異なり、みんな大事

2007.01.21

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
第一コリント12章27節<新改訳>

久しぶりにある家庭を訪問しました。
昨年誕生した赤ちゃんがとてもしっかりと大きくなってニコニコしていました。
思わずこちらも微笑んで抱っこしてあげました。
小さな手・かわいい足(あんよ)どれもこれも可愛いのです。

神様が私たちをご覧になった時、力のない、弱々しい私たちを見てもきっと微笑んでくださるのだろうな、と思いました。

私を離れては、あなたがたは何もすることが出来ない。

弱く小さな手……でも、しっかりと体の一部になっている事が大事です。
神様は一人一人異なった賜物(役割)を与えてくださった。
あなたの賜物は他の人のためにあり、他の人の賜物はあなたのためにあります。互いが必要としています。
賜物の違いを認めることは大事です。

a) 人の賜物を妬まないように。
自分の賜物を他の人と比較しないように。

b) 自分と同じ賜物を他の人にも強制しないように。
豊かな賜物を持った人が、自分と同じようにすべきだと言いやすいのです。時々これが混乱のもとになります。

人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、
エペソ6章6節<新改訳>

心から仕えなさい。


義務感から仕える奉仕は、律法的な奉仕になります。
これはイエス様が喜ばれるクリスチャンの姿ではありません。
私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
ローマ1章9節<新改訳>
心は……あなたが何かをする動機の源泉です。
神様はロボットのような人間を作ったのではありません。
神様の愛に燃えた心(情熱)の現われとしてイエス様の十字架があります。その愛を受け取った私たちの心から仕えるのです。
心がイエス様につながっている必要があります。

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
ヨハネ15章4節<新改訳>

私にとどまりなさい。

このイエス様の言葉こそが重要なポイントです。
イエス様が救いの源泉であり、また信仰生活の源泉なのです。

14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
第一コリント12章14-27節<新改訳>