この岩の上に

2018.08.05 週報 No28-32

今週のみことば

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
マタイ16章26節

家を建てるには土台が大切です。マタイ7章24-27

目に見える教会堂を建てるにも大事なことですが、イエス様はキリスト様の体である教会(イエス様を救い主と信じた人々の集まり・兄弟姉妹・私たち一人一人)も土台が必要だと言われます。
お互いの信仰の土台を見直しましょう。
私の信仰の土台は??・・何だろう?

~~今日の説教~~マタイ16章13-20節

~ はじめに~~
イエス様の父ヨセフは大工の仕事をしていました。
ユダヤの国は、あまり木材のない国でした。ほとんど石積みの家が普通でしたから、ヨセフも石の家を作ったのでしょう。
しかし、家の中は木材を使用していましたから、カンナを使ったり、ノコギリを使ったりしたでしょう。
何処の国でも何時の時代でも、家作りで大事なことは土台作りでした。
イエス様が、信仰生活の基礎を大事にされて、岩の上に家を建てよと語られたことは当然のことです。

1 あなたは、わたしを誰だと言いますか? マタイ16:15

この主イエスの質問は、今日、私たち一人一人にかけられている大切な質問です。
「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
このペテロの信仰告白が信仰の土台です。

Ⅱ 教会の土台(私たち一人一人の信仰)をしっかりと、立て上げよう。

一人一人の信仰の土台です。貴方の信仰の土台です。
それが貧弱だとその上に建てられた家はいつしか崩れます。

Ⅲ 全世界を手に入れらる人は一人もありません。


もし、仮に、入手出来る人がいるとしても、その人の「いのち」はそれよりも尊い、と主は宣言された。
そこに「救い」の尊さがあります。

今日のテーマは「教会」である。

さて、そもそも「教会」とは何か。前回はシモン・ペテロが「あなたは生ける神の御子キリストです」(16節)と告白したその意味を詳しく見た。
教会とは、「イエスはキリスト、すなわち神の救い主です」と告白した者たちの集まりである。
今日は、この教会の性格と使命ということを、ご一緒に見てまいりたい。
中心となるみことばは18,19節である。
ローマカトリックは、ここから一つの教義を作りだした。
それはローマ教皇の至上権、首位権というものである。

「『この岩の上に』というのはペテロの上に教会を建てるということなのだ。
ペテロは最初の教会監督、教皇だ。
『あなたに天の御国のかぎを上げます』とあるので、ペテロは地上で至高の権威をもつキリストの代理人だ。
ペテロは天の御国のかぎを受けて、ローマ教会監督、すなわちローマ教皇にそのかぎを譲り渡してきた。

だからローマ教皇が語ることばは正しく、聖書の権威に匹敵するのだ」。
こうしてペテロ及びローマ教皇の権威を絶大なものにしてしまった。
しかし、そもそも、ペテロが自分の至上権、首位権というものを主張した記録は聖書にない。

むしろ彼は、自分を「長老のひとり」という呼び方しかしていない(第一ペテロ5章1節)。
また彼はこの信仰告白の後すぐに、ことばで失敗を犯している。
彼は信仰告白の後、無意識のうちにサタンの使いとなり、イエスさまから叱責を受けている(23節)。

こうしたエピソードは、彼を神聖視しないようにとの神の配剤のように思える。
また、教会誕生後のことであるが、ペテロは真理についてまっすぐ歩むことができない時があり、使徒パウロから抗議を受けている(ガラテヤ2章11~14節)。
彼は救われるためには割礼というユダヤ教の儀式も必要であるとする割礼派の人々を恐れて、さも彼らの教理を認めるかのような妥協した行動を、一時取ってしまったことがあった。
彼も過ちを犯しやすい弱さをもった一人の人間である。

礼拝への招き

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
哀歌3章22-23節

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>