クンツ家の愛の奇跡

2018.10.14 週報 No28-42

今週のみことば

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3章16節

ひとり娘を放火事件で失った クンツ家の愛の奇跡
アルトゥール・クンツ宣教師(スイス出身)が、日本において茨城県石岡市で宣教師として活動を始めたのは1952年のことでした。
「天幕伝道」から始め、洋裁学校の一室を借りての定例集会、地道なトラクト配布と、福音の種を蒔き続けました。
やがてキリスト教に心を閉ざしていた町の中からも、福音を信じてクリスチャンとなる人々が起こされるようになりました。それにともないクンツ宣教師たちに対する妨害活動も激しくなり、「この町から出て行け、さもないと大変なことが起こるー悪魔より」という脅迫状まで届いたのです。
このような脅迫状が届いても単なる脅かしと思っていたところ、洋裁学校での集会に出掛けている間に、宣教師館が何者かによって放火されるという事件が起こったのです。
その際、ベッドに寝かしつけられていた二歳のダマリスちゃん(長女)が犠牲となり焼死するというクンツ宣教師夫妻にとってはとてもつらく悲しい出来事でした。
それは日本人を愛し、はるばる日本にやって来て苦労を重ね、日本人のために仕えてた二人に対してはあまりにもむごい仕打ちでした。

しかしこのような悲しい事件があったにもかかわらず、クンツ宣教師夫妻の日本人を愛する思いは消え去ることがありませんでした。
二人は以前と同じようにトラクトを片手に訪問伝道を続けていました。
次女プリスキラさんと三女のタビタさんは、両親のトラクト配布によく一緒に連れて行かれました。
子どもだけを家に残すしことをためらったからです。
それからしばらくの年数が経ち、ご一家の日本での働きが過去の出来事になりつつあった時、スイスで栄養師をしていた次女のプリスキラさんと小学校教師の三女のタビタさんが話し合ったわけでもなく、同時にその仕事を辞め、宣教師として日本にやって来たのです。
ハレルヤ!
驚くべきことに、クンツ一家の日本人への愛は一代で途切れることなかったのです。
現在、茨城県・筑西キリスト教会でプリスキラさんは宣教師として奉仕しています。
先週・日曜の午後大沢チャーチにお母様と一緒に来られお父さんクンツ宣教師の知人でもあった関根牧師と交わりの時を持ちました。
クンツ宣教師の面影を偲びつつ感動の時でした。

礼拝への招き

あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り「恐れるな。 わたしがあなたを助ける」と言っている。
イザヤ41章13節

祝福の祈り

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記6章24-26節<新改訳>