イザヤによる受難預言

2019.04.14 週報 No.2019-16

今週のみことば

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザヤ書53章5節

今週は、主イエス・キリストが十字架にお架かりになられた受難週です。主の恵みの御業を心に刻みつつ受難週を過ごし、喜びのイースターを迎えましょう。

1)信じる者と信じない者:神様の選びとして
ヨハネの福音書には「信じる者と信じない者」のことが繰り返し語られています。皆が信じるのでもないし、皆が信じないのでもないのです。ヨハネは、信じない理由として、
イザヤ書6章10節を引用してます。神様がその人を信じないようにされたというのです。

「神様の選び」の教理は、私が主イエスを信じることができたのは、ただただ神様の恵みによって、神様がわたしを選んでくださったからで、私には何の手柄もありませんということです。
・自分が神様の選びの中で救われたと信じる者は、ただ神様に感謝し、神様をほめたたえるしかないのです。

2)イザヤ書53章
・預言者イザヤは、紀元前8世紀の人です。このイザヤは、神様によって、救い主の苦難、主イエスの十字架を示されたのです。
イザヤ書53章は、主イエスの十字架の出来事があるまで、よく分からない謎の書と考えられていました。
・しかし、主イエスが十字架にお架かりになった出来事を目の当りにした弟子たちは、まさに主イエスの十字架を指していたのだと知ったのです。

3)主イエスの十字架を無駄にしない
・せっかく主イエスを信じる信仰を与えられたのに、人からの栄誉を求め、神様からの栄誉を捨てて、信仰を公に言い表さなかった人もいたのです。
・信仰は神様から与えられたものですから、自分で勝手に処理して良いことではないのです。私たちは信じる者として召されています。主イエスの十字架の恵みを無駄にしてはなりません。主イエスの救いの恵みの中にとどまり、恵みの中を歩んで行きましょう。(岡部牧師記)