神様の愛の応答する人生

2020.01.26 週報 No.2020-05

今週のみことば

私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。
詩篇22章15節

*クリスチャンとは?立派な人になることでも無く、
・優しい人になることでも無く、
・いつもにこにこして暮らす人になることでもありません。
・勿論そのような人生を送れる人は素晴らしいことですし、時にはクリスチャンで無くても、やさしくて、慎ましくて、他人に親切な人がおります。それはそれで立派なことです。
・しかし、クリスチャンとは?
・自分が神の前に罪人であること(ざいにん?ではありません。神様の前に立つときに罪を持っている人の意味です。)を認めること。
・そして、その罪の身代わりになって、その罪の代価を支払ってくださったイエス様の十字架の贖いを信じ受け入れた人のことです。
・その人はやがて大いなる神様の前に出るときに「罪なき者」と認められるのです。
・それをキリストの十字架による救い・贖いといいます。

・ですから、十字架無くして「救い」は無いのです。
・そこをしっかりと自分の信仰としておかないと、洗礼を受けても、信仰生活を何年かしていても、心の奥底に、不信の想い・喜びの欠如がでてきます。
・この十字架の真の意味を、今日も詩篇22編から先週に引き続いて、学びます。

~~~今日の礼拝説教~~~詩篇22編より

1 十字架上のイエス様の苦痛
:11 父なる神が、遠くに・・・

2 われ、かわく。 22:15・・・ヨハネ19:28
・最大の苦難・・・22:15 神が遠くに離れる・・
・主の心は今も渇いている・・

3 主を恐れる人よ・・・主を讃美せよ・・・:23-24
・神の独り子イエス様が、十字架の上で私たちの罪の身代わりとして、捨てられたことにより、私たちは誰独り捨てられることなく、救いの道が開かれました。