「当たり前」の有り難さ

2020.04.26 週報 No.2020-18

今週のみことば

あなたの重荷を主に委ねよ。
主は、あなたのことを心配してくださる。
詩篇55章22節

日曜日に家族と共に教会に行き礼拝を守る。教会で、みんなと一緒に交わりを持ち、互いのためにお祈りをする。
そんな「当たり前」のことが、できなくなった。
「当たり前」と思っていたことが、とても有り難いもの。
「当たり前」のなかに大きな恵が一杯あることを改めて知らされた。
ウイルスの異常事態宣言は、教会のあり方にもクリスチャン生活にも新しい指針を与えてくれた。
家族みんなで礼拝を守れる事は・・・とても素晴らしいことと再確認した。
でも、学校が3月4月とお休み・自宅謹慎・なるべく外に出ないように等々、戦後初めての思いがけない試練が来た。
自由に礼拝を守れ、心一杯主に向かって賛美を献げ、お互いの安否を確認しながら、確り手を握ってお祈りし合う・・
クリスチャンに与えられている大きな特権であり喜び・・
これが当たり前のことであった。
改めて「当たり前」の尊さ有り難さを嚙みしめている。
若い牧師は、AIとか、ユーチューブとか駆使して、自宅で礼拝を
テレビやパソコンで一緒に守る名案を多くの教会が、実行している。
時代に適したスゴイ方法?と感服しているが、それも中々上手くいかないらしい。
第一どこの教会も老人が多い。
ある教会で、実行して牧師は多分80%くらいの人は参加しているだろうと内心思ったそうだが不安になり電話で確認した。
その結果は??予想を大きく外れて、ほとんどの人が視聴に参加してなかったので、がっかりしたと言う報告も聞いた。
だから?と言うわけではないが、この教会では、十分ウイルスに警戒しながら、礼拝を今しばらく継続することにした。
しかし、くれぐれもウイルスに対しての警戒を怠らないで、今できる限りの方法で主に礼拝を献げよう。
オリーブ聖会である講師が説教のレジメ(説教要旨)を渡してくれた。そのレジメの最後に
成功するクリスチャンの秘訣・A・B・C とあった。
多分英語の頭文字で文章が続くのだろうと思ってA:何だろう。
考えたが私の英語力では中々語彙が浮かんでこない。講師曰く
 A 当たり前のことを・・なーんだ。日本語か?と思った。
 B バカになって・・・この講師、おちょくっているのかな?
 C チャンとやれ・・・なーるほど?・・何となく納得した。
礼拝を守る。聖書読む。お祈りをする。クリスチャンの当たり前の事。
以来、大分年月が過ぎた。この成功するクリスチャン生活の秘訣?ABCは確り私の心に残っている。