日光市のキリスト教会 大沢バイブルチャーチ

牧会エッセイ・2

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
伝道の書3章11節

大沢バイブルチャーチ 関根辰雄
狭い我が家の同居人…
足尾教会から群馬県の尾島教会に転任した。前任の井野先生が良き奉仕をされ教会堂が新築された。
だが独身の井野先生のために、牧師館を造る余裕はなく、会堂と一緒に4畳半の部屋が使われていた。
そこに親子6人の私たちが住み込んだのである。

4畳半に6人は何とも狭いので、タンスを置く場所もなく、やむを得ず会堂に片側にカーテンをひいて細長い6畳の仮部屋を作り、タンスを置いたり私の部屋にしていた。
狭いながらも楽しい我が家であった。
数年後、足尾教会の頃に良く訪問し導いていた一人の奥さんから電話があった。
苦労しながら育てていた次男が不良になって長野県の須坂少年刑務所に入っているが、引受人がいたら出所させると言う。
居ないならば、成人したので大人の刑務所に回すと言う話であった。

「先生、引受人になって、面倒見てください。」足尾に帰ると仲間がいるのですぐに元に戻ってしまうでしょうから、お願いします。」と言うことだった。
少し思案したが、教会の役員の方々にも承認してもらって引き受けることにした。
長野県の須坂少年刑務所にご両親と共に迎えに行き、我が家に一緒に住むことになった。
子どもたちと一緒に、貧しい食事を一緒にし、細長いカーテンで仕切った会堂の部屋に私と一緒に寝る生活が始まった。
食事のお祈りを子どもたちがするのを興味深く見ながら一緒にアーメンと嬉しそうな顔をして食事をしていた。

近くの知人の自動車修理工場に事情を話して、働かせて頂くようになった。初めて働くことを覚え楽しそうに我が家から通勤していた。
その内に礼拝にも出て自分でお祈りもするようになった。
娘の牧子がまだ3才位であったが、お兄ちゃんと呼んでよく遊んでくれていた。
ある日、長男の一夫に「一夫ちゃん、あのお兄ちゃんの足と手には、きれいなお花が書いてあるよ?」と目を丸くして報告した。
「あれは、入れ墨っていうだ」と一夫が牧子に話していた。
数ヶ月問題なく働き、礼拝にも出て、クリスチャンとして新しい人生を始めるかなと思っていた12月の暮れ、自動車修理工場で忘年会が開かれた。
酒の匂いをさせながら、ふてくされた態度で彼が帰ってきた。
「お酒は飲ませないで」と頼んでおいたのだが、忘年会ぐらいはと思って個人営業の社長さんが飲ませしまったそうだ。

酒の上でトラブルになりけんかになり、社長さんを殴ってしまった。
車を坂道に引き上げるのは、中々進まず力がいるが、下るのは早い、超スピードだ。

さすがの私も手を焼いた。出来るだけのことはしたつもりだったが、数ヶ月の苦労は水泡に帰した感じとなった。

仕方なく、足尾のお母さんに電話、、お母さんが来てくれた。

ふて腐れた彼の態度に、おかあさんは泣きながら、「お世話のなった先生にご迷惑を掛けて全く、、これからどうするの?」その時、聞く耳持たぬ彼は母親に大声で怒鳴った。
「うるせえ!てえめは黙っていろ!」

しばらく泣いていたお母さんが「先生、申し訳ありません。これ以上迷惑を掛けられませんから連れて帰ります。私は親ですから、この子のためにどんな苦労しても、かまいません。なんと言われようと、我慢します.。でも、この子は、こんなに私が愛しているのに私の心が分かってくれないのです。わたしはそれが一番辛く悲しい」と言いながら、彼を連れて帰った。

数年後、今市教会に転任した夏、二人の県警の方が訪ねてきた。
足尾で大きな事件があり(殺人事件)その犯人が逃亡している。
全国に指名手配中だが、関根牧師に世話になり尾島教会で一緒にいたとのことで「何か連絡がありませんか?」ということであった。

数日後、九州の方で逮捕された青年の大きな顔写真入りで大きく報道さされているのを複雑な気持ちで読んだ。
あれから50数年、年と共に昔のことを想い出す。その彼の顔は我が家の3歳の娘とニコニコしながら遊んでくれた彼の姿である。
そして、今一度彼に会い、私の愛の心が分かって欲しい、と訴えたお母さん以上の愛を持って、彼を愛されているイエス様の愛を伝えたいと思う昨今である。