自分の日を正しく数えつつ

2019.3.10 週報 No.2019-11

今週のみことば

それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。
詩篇90章12節

春を感じ入る昨今、間もなく受難週・そしてイースターとなります。
今日は、詩編90篇これは、モーセの祈りです。
偉大な聖書中の人物モーセが唱われた詩編を、約束の地を見つめながら、天に召されたモーセを偲びながら、学びましょう。
この詩編を学ぼうとして、旧友の牧師である鴨下牧師のご子息・直樹牧師の書いた説教集に次のような文がありました。
私の友人ですので感動しながら読ませていただきました。
「自分の日を正しく数える」というのは、どういうことなのでしょうか。
自分の生きた日を、この日はちゃんと生きたと、神の前に数えることができるというのは、どう生きることなのでしょうか。

鴨下直樹牧師のブログより抜粋

私の父は牧師をしていました。
子どもの私から見ても、様々な点で厳しい牧会生活であったと思います。
私が小学生の時に、教会が火事になり、会堂が全焼してしまいました。
私が高校2年生の時に、火事の後、応急的に直して使っていた会堂を取り壊して、新会堂を建てました。
そんな大事なときに、当時、役員だった主だった人たちの多くの信徒が教会を去って行ってしまいました。
新しい会堂が建設されても、教会はなかなか安定しませんでした。
そんな時、私は、父に聞きました。「父さん。牧師になって一番良かった時というのは、いつだったの?」と。
私の質問の意味は、牧師をしていていい時なんて、あったのかという意味が含まれていたと思います。
すると、父は、しばらく考えて私にこう言いました。
「今が一番いいなぁ」と。私は、その答えに衝撃を受けました。
その頃、教会の何人かのことで、父は毎日頭を抱え、困り果てていたのを知っていたからです。
けれども、その父のイエス様に対する信仰の姿勢を見て、私もこうありたいと思いました。
その時の父の言葉は今も忘れることがありません。・・・・・・

大分昔、岐阜県の木曽川で伝道していた、鴨下牧師夫妻の教会の特別集会に私は奉仕した覚えがあります。
聖書学校がご夫妻とも私と同窓です。
よく知っている牧師仲間なので、同労の牧師としてその苦労を身に沁みて感じました。
困難のまっただ中に「今が一番?・・・」天を見上げた姿勢に感動・私もこうありたいと祈りつつ、詩篇90編を読みました。