主の御心(岡部牧師)
2021.7.18 週報 No.2021-29
今週のみことば
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。
「わたしの心だ。きよくなれ」
マルコ1章41節
1.ツァラアト (重い皮膚病)に冒された人
いつの時代にあっても特定の病の人に対する差別は存在します。
自分も感染する恐れがある病が存在すれば、私たちも差別してしまうことでしょう。
レビ記の規程によれば、「汚れている」と叫ばなければならず、ひとりで、宿営の外に住まなければなりませんでした。
2.お心一つで =主イエスの意志によって人から離れなければならない彼が、自分からイエス様のみもとに来て、ひざまづいて、「お心一つで、私をきよくしていただけます。」と願ったのです。
彼の言葉は、自分の願いをイエス様にぶつけるということ以上に、イエス様の意志、御心によってことが起きるのだという、彼の信仰が言い表されています。
3.主イエスが手を伸ばして、さわって
「わたしの心だ。きよくなれ 」
「深く憐れむ」という言葉はイエス様だけに使われている言葉で「はらわたが痛む」というニュアンスを持つ言葉です。
これがイエス様の御心であり、私たちに向けられているのです。
イエス様は、彼の最も激しく病に侵されている幹部、自分も見たくないようなもっとも汚れているところに触れてくださったに違いありません。
私たちの罪が赦されることも同様なのです。
私たちが見たくない、触れたくない、隠しておきたい罪に、イエス様は触れてくださり、きよめ、癒してくださるのです。
4.誰にも話さないように
律法に規定されている社会復帰するための手続きをまずきちんと踏むように言われましたが、そのことをしませんでした。
この男の気持ちは分かります。
うれしくて仕方なかったのです。
しかし、彼の言葉は真のイエス様のお姿を語るものではありませんでした。その結果、イエス様は表立って町の中に入ることができなくなってしまったのです。
主の恵みを証しすることにおいて、どのように、何を語るべきか、注意深くありたいと思わされます。