誇りを持った人生

2020.11.15 週報 No.2020-47

今週のみことば

それで神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。
ロマ15章17節

今日の礼拝説教・・・・岡部牧師

聖書箇所:ローマ人への手紙15章14節~21節
説教題:「パウロの誇り」
中心聖句:ローマ人への手紙15章17節
「それで、神に仕えることに関して、
私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。」

<アウトライン>

1.誇りをもって生きることは必要
「誇り」というのは人間の感情、心の動きの一つですが、やっかいで、複雑なものです。英語では「プライド」です。
私たちは、誇り、プライドなしには人間らしく生きることができません。けれども、ともすれば自分の欠けや罪に目を塞ぎ、自己満足を得ようとする自己主張にも繋がるのです。

2.パウロの誇り・・キリストにあって誇る
パウロは、自分の業績を誇っているのではなくて、キリストご自身が救いのみ業の前進のために自分を用いて下さったことを感謝しつつ振り返っているのです。パウロの誇りは、主イエス・キリストにおいて、そのみ業の中で神が自分を用いて下さったことへの感謝を根拠にしているのです。
3.古い誇りと新しい誇り主イエスと出会う前のパウロは、人との比較において自分の誇りを確かめる生き方をしていました。
主イエスと出会い、古い誇りは捨て去られたのです。
神の独り子イエス・キリストの十字架の死と復活によって罪人である自分が赦され、新しく生かされていることを感謝し、自分自身には何の正しさも立派さもない者が、ただキリストの恵みによって神の恵みのみ業のために用いられることを喜ぶ、その感謝と喜びによる誇りであり、自分の業績ではなく神の救いの恵みをこそ誇る誇りなのです。

4.異邦人伝道の体験の中で
パウロの古い誇りにおいては、異邦人は救いに値しない、軽蔑の対象でしかありませんでした。その異邦人の救いのためにパウロは召されたのです。それはパウロにとって非常に厳しい体験であったはずです。私たちもイエス・キリストの福音によって、古い誇りを打ち砕かれ、新しい誇りに生きる者とされるのです。