十字架のイエス(岡部牧師)

2022.04.10 週報 No.2022-15

今週のみことば

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節

主イエスは十字架の上で7つの言葉を語られました。
特に3つの言葉に心を留めたいと思います。

1.わたしは渇く。ヨハネ 19:28
十字架上で唯一肉体的な苦しみを現わした言葉です。
しかし、この強烈な渇きは単に肉体的な渇きを意味するだけでしょうか。
「渇き」とは、私たちの思いや行動を促す最も深い所にある衝動です。
人はこの「渇き」を癒すために生きていると言っても過言ではありません。
私たちが生きていくために必要なものが欠乏する時に感じるものです。
主イエスの渇きとは何でしょうか。
「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げること」ヨハネ4:34とあります。
父なる神のみ心を完全に成し遂げたいという決意のお言葉なのです。

2.完了した。ヨハネ 19:30
贖いのわざ、すなわち、罪の代価(身代わりの死)が完全に支払われたという意味です。
このことのゆえに、私たちは神の御前で義とされ、罪赦され、神の子どもとなることができるのですが、その贖いのみわざがなしとげられたことに対する主イエスの満足があります。
この言葉は信仰の勝利の声であり、神の愛の勝利の声でもあります。
私たちの救いは「イエス・キリストの信仰によって」支えられているのです。

3.父よ。わが霊を御手にゆだねます。ルカ 23:46
贖いのみわざが「完了した」とは死ぬことを意味します。
罪のさばきと呪いの中に死にゆくわけです。
ご自身の使命を果たされた主イエスは、そのあとのことを御父に完全にゆだねました。
「ゆだねる」という言葉は、本来「~の前に置く」という意味です。
御父に対するゆるぎない信頼こそ主イエスの生涯に一貫していたものであり、信仰の完成者としての姿があります。